ぶらぶら築地市場
先日、徒歩で隅田川下りをしました。
帰りは銀座から地下鉄で帰るつもりで隅田川テラスを後にしたのですが、
すぐ目の前が築地市場でしたので周辺を歩いて見ることにしました。
勝鬨橋で隅田川テラスから上がると、目の前のモニュメント(?)に海鳥さん達を発見しました。(まだ、それほど仲良くはなさそうです。)
目の前は築地市場です。
「都営なんだ。。。」
「ふ~ん。」
「『東京都中央卸売市場築地市場』が正式名称なのだそうです。」
「ふ~ん。」
築地市場はは海外から訪れる観光客も多いのです。
早朝から鮪の解体などを見に行ったりするようです。
「な・み・よ・け・じ・ん・じゃ」
何だか築地っぽい名前の神社を発見!!
知ってる企業の提灯もあります。
「なんで提灯なんだろう。。。」
注意書き発見!!
波除稲荷神社
所在地 中央区築地六-二〇-三七
波除稲荷神社の起立は万治年間(一六五八~六一)といわれています。当時、築地一帯の埋め立てに際し、堤防がたびたび波に崩されて工事が難航していました。ある日、海中に漂う稲荷神の像をみつけ、これを祀ったところ、風も波もおさまり、工事が無事完了したと伝えられています。「波除」という尊称もこの伝説に由来するものです。
以来、厄除けや航海安全の神として人々に厚く信仰され、祭りでは数多くの獅子頭が町をねりあるき、獅子祭りと呼ばれていました。今でも三年に一度、六月に行われる例大祭では、嘉永元年(一八四八)に作られた獅子頭が築地周辺をねりあるき、その伝統を伝えています。
江戸時代、築地の南側には尾張徳川家の蔵屋敷があり、社殿前の天水鉢は、そこで船から荷物を陸揚げする小揚(こあげ)の人たちから奉納されたもので、獅子頭とともに中央区民文化財に登録されています。
平成六年三月
中央区教育委員会
こちらの神社の神様は海中に漂っていたのを拾ったそうですが、他社(?)では落ちていたのを拾って祀ったなどと聞いいたことがあります。
神様も色々と大変そうですね。
鳥居をくぐった正面は社殿(御本社)です。
現在の社殿は昭和12年に出来たもので唯一神明造で建られており、国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に造営された御社殿です。(HPより抜粋)
そして左右には狛犬さんではなく、赤黒の獅子(の頭)がいらっしゃいます。
左側は赤獅子さん。
本名は「摂社 弁財天社」と言います。
学芸の才能と豊かな財をなす福徳の神「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」を祀り、この御祭神を俗に弁財天と称することから弁才天社と呼ばれます。
江戸時代の御本社の御創建に時を同じくお祀りされた縁の有る事から摂社として大切にお祀りされています。
「お歯黒獅子」は高さ2.2m、両耳幅2.5m、総重量700㎏、総漆塗り一木造で、知田清雲氏と職人達の技により、紅色の肌地にお歯黒を施し金箔押しの巻き毛で腰高の姿に平成14年に再興され、この雌を表す頭の宝珠の中に御神像が納められております。
(HPより抜粋)
そして右側は黒獅子さんです。
獅子殿です。
「ししどのぉ~!!」
じゃ、ないですね。。。
江戸時代、厄除け・災難除けの象徴として多くの参拝者を集め又当神社祭礼「つきじ獅子祭」の名称の元をもなした「厄除天井大獅子」は江戸末期に焼失以来その復興を待たれておりましたが、平成2年に当神社の御鎮座330年を記念し樹齢約三千年の黒檜(ねず)の原木を用いて 高さ2.4m 幅3.3m 重さ1t 名実共に日本一の厄除天井大獅子として、加賀鶴来の現代の名工・知田清雲氏とその工房の手により再興され神楽殿を基礎より全面改築された獅子殿に納められました。(HPより抜粋)
おみくじの木。
波除神社のスグ先に築地市場の正門があります。
場外市場です。
日曜日のせいかシャッターを下ろしている店が多いですね。
こちらは営業中です。
玉子焼き専門店です。
こちらの通りは食べ物屋さんが多いせいか開店しています。
「これな~んだ???」
「別に。。。興味ない。」
「まぁまぁ。。。そこはひとつ。。。」
えー、からすみの横にありました。(ヒントになってない。。。(汗))
風船の中は豆腐でした。
昔、こんな水羊羹食べました。。。
移転問題に揺れる築地です。
帰りは銀座から地下鉄で帰るつもりで隅田川テラスを後にしたのですが、
すぐ目の前が築地市場でしたので周辺を歩いて見ることにしました。
「ふ~ん。」
「『東京都中央卸売市場築地市場』が正式名称なのだそうです。」
「ふ~ん。」
早朝から鮪の解体などを見に行ったりするようです。
「な・み・よ・け・じ・ん・じゃ」
何だか築地っぽい名前の神社を発見!!
「なんで提灯なんだろう。。。」
波除稲荷神社
所在地 中央区築地六-二〇-三七
波除稲荷神社の起立は万治年間(一六五八~六一)といわれています。当時、築地一帯の埋め立てに際し、堤防がたびたび波に崩されて工事が難航していました。ある日、海中に漂う稲荷神の像をみつけ、これを祀ったところ、風も波もおさまり、工事が無事完了したと伝えられています。「波除」という尊称もこの伝説に由来するものです。
以来、厄除けや航海安全の神として人々に厚く信仰され、祭りでは数多くの獅子頭が町をねりあるき、獅子祭りと呼ばれていました。今でも三年に一度、六月に行われる例大祭では、嘉永元年(一八四八)に作られた獅子頭が築地周辺をねりあるき、その伝統を伝えています。
江戸時代、築地の南側には尾張徳川家の蔵屋敷があり、社殿前の天水鉢は、そこで船から荷物を陸揚げする小揚(こあげ)の人たちから奉納されたもので、獅子頭とともに中央区民文化財に登録されています。
平成六年三月
中央区教育委員会
こちらの神社の神様は海中に漂っていたのを拾ったそうですが、他社(?)では落ちていたのを拾って祀ったなどと聞いいたことがあります。
神様も色々と大変そうですね。
現在の社殿は昭和12年に出来たもので唯一神明造で建られており、国産の檜が使用され、戦前では東日本で最後に造営された御社殿です。(HPより抜粋)
そして左右には狛犬さんではなく、赤黒の獅子(の頭)がいらっしゃいます。
左側は赤獅子さん。
学芸の才能と豊かな財をなす福徳の神「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」を祀り、この御祭神を俗に弁財天と称することから弁才天社と呼ばれます。
江戸時代の御本社の御創建に時を同じくお祀りされた縁の有る事から摂社として大切にお祀りされています。
「お歯黒獅子」は高さ2.2m、両耳幅2.5m、総重量700㎏、総漆塗り一木造で、知田清雲氏と職人達の技により、紅色の肌地にお歯黒を施し金箔押しの巻き毛で腰高の姿に平成14年に再興され、この雌を表す頭の宝珠の中に御神像が納められております。
(HPより抜粋)
そして右側は黒獅子さんです。
「ししどのぉ~!!」
じゃ、ないですね。。。
江戸時代、厄除け・災難除けの象徴として多くの参拝者を集め又当神社祭礼「つきじ獅子祭」の名称の元をもなした「厄除天井大獅子」は江戸末期に焼失以来その復興を待たれておりましたが、平成2年に当神社の御鎮座330年を記念し樹齢約三千年の黒檜(ねず)の原木を用いて 高さ2.4m 幅3.3m 重さ1t 名実共に日本一の厄除天井大獅子として、加賀鶴来の現代の名工・知田清雲氏とその工房の手により再興され神楽殿を基礎より全面改築された獅子殿に納められました。(HPより抜粋)
玉子焼き専門店です。
「これな~んだ???」
「別に。。。興味ない。」
「まぁまぁ。。。そこはひとつ。。。」
えー、からすみの横にありました。(ヒントになってない。。。(汗))
風船の中は豆腐でした。
昔、こんな水羊羹食べました。。。
by yoxiwoo
| 2008-04-02 09:37
| 散歩